戦国の武将といえども、一部の野心家を除けば、戦いを好んでしたものは多くはなかった。家臣や領地を守るために、しかけられたものが多かったからこそ、常に戦況を注視し負けと判断するや否や、勝ち組みに寝返ることもたびたびである。「勝ちも負けもない合戦」で面目を保つことが、如何に重要であったかである。

得たものを失ないたくない執着は、得るための努力の比ではない。一万対五千の兵の戦いで、負けたほうが半分以下の兵になることはなかった。目に見える戦いでは、戦況が良く分かるから無駄な殺生はしないのだが、近代戦と相場はそうは行かない。

相場の世界に正義があるとすれば、勝者こそが正義である。負け戦となったら撤退しない限り、負け犬を寄ってたかってたたきにくる。そして決して許してなどくれない。勝ちに酔っていてる人が正義であり、反対のポジションにいる人は苦しんでいる人が悪の人なのだ。たとえ一枚の建玉しかなくても、相場の世界ではれっきとした将である。

大将だから考えておかなけらばならないことがある。小競合いで形勢不利と見たら、逃げればいい。都合、相手の数より多くの将兵が生残っていれば優勢勝ちである。戦国武将の武田信玄でさえ、勝ちは六分をもって良しとした。完敗さえしなければ、いずれ勝ちを得るチャンスがあるのも、また相場の世界ならではである。

相場の世界に身を置いている人は、日夜高度な相場分析の研究をされていることと思う。それはすべて勝率の高さを求めていることに尽きる。けれども99パーセントの勝率であっても、この勝率が必ずしも成功につながるとは言えない。

逆に60パーセントの勝率でも、安定した利益を上げることは可能だ。失った後では「逃がした魚」があまりにも大きいから、欲を出さずにコツコツ稼ぎ、礼節を実践する日常を送りたいものである。